Histoire d'O selon Oraclutie

『O嬢の物語』を読む - 「ロワッシーの恋人たち」
第2回 Le taxi part doucement ...

「タクシー」は2人を乗せて走り出す。ルネは左右、後ろの窓についているブラインドを降ろす。外からの視線を遮られた空間の中にOと恋人と共犯的な運転手。恋人と抱き合うものと思ってOが手袋を外したとたん、彼の口から出てきた言葉が、「それ邪魔だろう。こっちへよこしなそのバッグ」。ブラジャーの件でこの後も出てくるが、Oが恋人としての愛情表現を求めて控えめなイニシャチブを示すたびに、恋人から返ってくるのは別種のアクションである。バッグはとりあげられる。そしてここから、後に(第2章「ステファン卿」のはじめの部分)ルネが思い出して le demi-deshabillage (澁澤の巧みな訳で「ストリップ・ショーまがいのこと」)と呼ぶ、有名なシーンが展開される。ルネの最初の命令が、

Défais tes jarretelles. Roule tes bas au-dessus de tes genoux.

ここで少し用語を整理したい。現在では映画のおかげで訳語にこだわらなくても、何が行われたか事態ははっきりしているが、過去の邦訳の用語は現在の語の使いかたからみれば混乱しているように思える。Oがストッキングを落ちないように留めているのは porte-jarretelles(但しこの語そのものはここでは出てこない)。今の日本語では米語にならってガーターベルトと呼ぶのが普通(イギリス英語では suspender belt)だろう。この porte-jarretelles を構成する各部が、腰回りの部分の ceinture (そのまま訳せばベルト)そして、4つ(まれに6つ)の jarretelles。澁澤訳、鈴木訳とも ceinture に「ガードル」、jarretelles に「ガーター」の訳語をあてる。確かに腰回りの部分がかなり広いガードルのようになったようなタイプのものも存在するが、ガードルで今充分に通じるかどうか。jarretelles は米語では garters で、ガーターという日本語もこれを踏襲しているが、イギリス英語では suspenders。

ますますごちゃごちゃになってきた嫌いもあるが、要は、(ガーターベルトの)サスペンダーのクリップを外してストッキングを膝の上の方まで丸めろという命令。

そしてその丸めたストッキングを留めるために渡されるのが jarretières。porte-jarretelles の代わりに簡易的な手段(当時はモダンだったのか?)として使われる、腿の部分が一つ一つ輪っかになったタイプのガーター。ファッションの変遷とともにガーターベルトよりも稀少な存在になりつつあるこれを今の用語で何と呼べば適当か分からないが、澁澤訳、鈴木訳はこれに「靴下留め」の訳を当てる。確か、これも米語にならってガーターと呼ばれていたように思う。(混乱の原因は米語でjarretelles も jarretières も両方ともgartersと呼ぶことにある。イギリス英語だと前者をsuspenders,後者をgartersと区別する)。

今のストッキングの大勢からすると忘れがちだが、当時はストッキングの上部に収縮性の素材を埋め込んだ 今フランスでdim-up と呼ばれるタイプのもの、言うなればストッキングそのものにjarretie`resが埋め込まれたものは存在しなかったはずで、膝上のところまで丸めたストッキングをバンドタイプのガーターで留めるのは、きっちりとサスペンダーで吊るよりも、露出部分の拡大といい不安定感といい、きちんと服を着た感じからルーズな半裸に近い感じへの移行として捉えられたはずである。車はスピードを上げ、運転手の眼もあるので、少々やりづらくはある(elle a un peu de peine) が、やっと靴下を丸め終わったときの感じが、

ell est genée de sentir ses jambes nues et libres sous la soie de sa combinaison.

「裸の、むきだしの脚が下着の絹地にふれて、彼女は落着かない気持ちになった。」(澁澤訳)。下着とはスリップのことだと前後関係から把握しておけば、訳文として文句のつけようはないが、「むき出し」と訳されたこの libre という形容詞、この後も出てくるが翻訳に込め難い語感を持っているので一言。まずこの場合は、ぴっちりと覆うものがなくて、ごろりとさらされているということである。後のほうで、ブラジャーを取り去られてやはり乳房がlibresになるという表現があるが、ここでは、空中にぶらりとぶらさがって動きや外からの接触をなにも妨げるものがないとというニュアンスがさらに加わる。そしてこのlibreは acces libre フリーアクセスのlibreというニュアンスにもつながる。接触自由、そして、無料(笑)。 何もガードするものがなく、だれでも触りたい人はいつでもご自由にどうぞ、という感じでむき出しにされている(もっとも1970年代にブラジャーを焼いたフェミニスト的観点からいうと、この libre は libéré(解放された)でもあり、自由の主体が自分に移るが、この誰に対して自由かという問題ははコインの裏表の関係)。

そしてもう一つの結果が、

Aussi, les jartelles défaites glissent.

「はずれたガーターもすべり落ちた」(澁澤訳)、「するとはずれたガーターも下へすべり落ちた」(鈴木訳)。これらの日本語が、具体的にどういう状況を想定しているか、はっきりしないが、少なくとも「はずれたガーター・ベルトがずり落ちてきた」(長島訳)は、上で説明したjarretellesの語義からすと明らかに誤りであることがわかる。 d'Estrée訳、 "the loose garter-belt suspenders are slipping back and forth" の「前後にブラブラ」という訳は補いすぎにしても、要は、このストッキングの外された4本のサスペンダが、行き場を失ってずるずると滑っている状況を描いている文である。いままでストッキングと引っ張り合ってピンと張っていたサンスペンダが引っ掛かりを失って、4本とも頼りなげにずるりと垂れている。Oの置かれた非常に不安定な状況を象徴して一種の不安感を掻き立てる、ディテールである。


1. Son amant emmène un jour O ...
3. Défais ta ceinture ...

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