Histoire d'O selon Oraclutie

『O嬢の物語』を読む - 「ロワッシーの恋人たち」
第3回 Défais ta ceinture ...

命令はたたみかけるように続く。

Défais ta ceinture, dit-il, et ôte ton slip.

「ガーターベルトを外し、パンティを脱げ」

ceinture はもちろんガーターベルトの腰まわりの部分だということは、前回説明した。ホックで止められているから動詞が défaire になっている。また、ôter は普通に用いられる enlever よりもかなりぶっきらぼうな響きがある。

これを受ける文が、

Cela, c'est facile, il suffit de passer les mains derrière les reins et de soulever un peu.

「腰の後ろに手をやり、少し体を浮かすだけで充分」と、暑いからジャケットでも脱ぐのと同じようにいかにも簡単という調子で従う様子が描かれている。何の変哲もない文だが、ここでCela, c'est facile という単純な文の持つ文体的な色合いについて一言。

鈴木氏は訳者解説で、「この小説では、『彼女は』、『Oは』と三人称を用い、一応ヒロインと作者を別にしたいわゆる客観的小説の形式をとりながら、Oすなわち作者という、一人称の告白体の小説という感じを与える」と書いている。その理由として、氏は、「恋する娘」を引きながら、作者が「夜の世界でみずからOになりきって筆を執った」からとしているが、テキスト外の理由はさておいて、問題はそれがどのように実現されているかである。鈴木氏は、同じ後書きの別の場所で 「原文はその文体が直接話法と間接話法が入り混じった特殊なもの」と指摘しているが、氏の指摘するのはこの作品の文体に入り込んでいる多様な「入り混じり」の代表的な例の一つである。一般に、この小説では語りの発信点が、Oの視点とOを外から見る視点(しかもその中に、透明な語り手、Oを見る作者としての私、われわれと視点をわかちあう作者などの変化がある)の間を自在に、すべるように、時には微妙なずれによって、動いていく。おいおいと、その多彩な例にお眼にかかることになるが、この個所ではじめてそうした視点のゆらぎ、しかもかすかなそれが感じられる。Cela, c'est facile. その前まで純然たる客観描写の文体と直接話法による会話が別れていたところに、地の文の中に突然、口語体があらわれる。しかもOの感じるfacileという価値判断が Elleという主語を介さずにわがことのように、直接提示される(前回分解説中に出てきた Elle a un peu de peine.と比べていただきたい)。語りの発信点がOに移りその心中の言葉が語られているのか、Oと同化し代弁する作者の言葉として語られているのか。いずれにしても純然たる客観的立場からずらされたそのあいまいな揺らぎの中で、読む者の視点は、より親密にOの内部へと誘導される。

脱いだものを取り上げバッグにしまったルネの新たな命令は、スリップとスカートの上に座ってはならない(Il ne faut pas は「する必要はない」ではなく「すべきではない」という純然たる強い禁止を表わす)、それを持ち上げてじかにシートの上に座れ、というものだ。と、

La banquette est en moleskine, glissante et froide, c'est saisissant de la sentir coller aux cuisses.

シートの材質の moleskine は、どの訳者も「レザー」という訳を与えているが、正確には、「モールスキン(エナメルなどを塗って革に似せた綿布)」(ロワイヤル仏和中辞典。仏和辞典への参照はこれ以降基本的に、大き目の辞書として比較的普及しているこの辞書へ)で、本革ではない。ビニールの模造革が一般的になる前のもので、古いカフェーのスツールなどに残っていた記憶がある。d'Estrée 訳では "some sort of imitation leather"と処理してある(英語にもmoleskineという単語はあるが、これは語源的にいっしょでも実際はまったく別物を指し、今、日本語でモールスキンといっているのはそちら)。このタクシー(もどき)のシートの感触は、肌にしっとりなじむ本革のではなく、つるつると固いエナメルの人造的な冷たさである。

それが腿に張りつく感じは、先ほど導入された視点のまま、Oの観点から描写される。その感じを表わす saisissant (澁澤訳では「異様」)の語感について一言。 仏和辞書で引くと「身にしみる」「はっとさせる」という訳語が与えられているが、saisir (つかむ)という動詞のの語義の一つ「(感情などが)とらえる、強い印象を与える」というところから派生して、心をぎゅっととつかむような感触、印象を与えるということ。何か意外なものが突然やってきて、胸をきゅっとつかまれたような感じ、うしろからウエストをつかまれてぶるっとくるような感じ、それがsaisissantだと考えてもよい。だから単に「異様」というようなスタッティックなものよりも、もっとダイナミックな感情の動きを表わす。鈴木訳の「なにかゾッとするような」はそのニュアンスにより近く、また、映画ではその「ハッとする」感じをいささかオーヴァーに表現していた。

ルネは、手袋をはめるように(先ほど脱いでしまった)と命令したきり、沈黙する。

Le taxi roule toujours, et elle n'ose pas demander pourquoi René ne bouge pas, et ne dit plus rien, ni quelle signification cela peut avoir pour lui, qu'elle soit immobile et muette, si dénudée et si offerte, si bien gantée, dans une voiture noire qui va elle ne sait pas où.

この長い文だが、澁澤訳も鈴木訳も従属節のかかり具合を正確に訳していない。文章が入り組んで訳文が読み難くなるのを避けるために意図的に文をばらしたにしても、切り方が正しくない。長島訳だけが、文の構造を正しく捉えている(細部のニュアンスは別として)。

「タクシーは相変わらず走りつづけている。彼女は、なぜルネが身動きしないのか、急にもう口をきかないのかあえて訊ねてみる気がしなかったし、また、どこへ行くのかわからない黒い車のなかで彼女が身動きせず、黙ったまま、こうして裸で、むき出しで、手袋だけをきちんとしていることがルネにとっていかなる意味があるのかをも訊いてみる気はなかった」(長島訳)

上の訳で「こうして裸で、むき出しで」、澁澤訳で「裸に近い無防備の格好で」となっている、"si denudée, si offerte" のニュアンスに少しこだわってみたい。 denudé は、単に裸の状態でいることを表わす nu に加え、「裸にされて」「裸に剥かれて」という、アクションの結果のニュアンスがある。offert(e) は、動詞offrir 「差し出す、贈る、捧げる」過去分詞からきた形容詞で、「差し出された、贈られた、捧げられた」という意味である。この文脈ではなかなか日本語にしにくいが、まず通常のフランス語の意味では、プレゼントとして提供されたということで、当然その対象は「物」である。また、英語で神さまへの奉納物を表わすoffering、ドイツ語で神へのいけにえ(そして事故な どで神に召された犠牲者)を表わすOpferなどでいっそう明確だが、キリスト教の伝統では、神に捧げられたという限定された意味を持っている。そこからもニュアンスがわかるように、ここのoffertには自分の意志ではコントロールできない他の存在に物、贈り物のように差し出されているという意味合いが含まれている。こうしたニュアンスを考慮に入れているのが鈴木訳で、「こんなに服をむしり取られ、まるで生贄にささげられるような格好で」。

このくだりでもう一つ効果的なディテールが、「こんなにもきちんと手袋をはめてsi bien gantée」。裸に剥かれた他の部分との奇妙な対比があり、この後の文で、他の部分は裸で脚も開いている−−なにも命令はされないが、Oはあえて脚を組んだり、膝を閉じあわせたりしなかった−−のに、こうして手袋をした両手だけをしっかとシートに押し付けるようにしている様子の描写で、状況の不自然さとともに彼女の緊張がいっそう強調されている。


2. Le taxi part doucement ...
4. 《Voilà》, dit-il tout à coup.



moleskin についての脱線的補足。

上記解説をリライトの途中、たまたまめくったカトリーヌ・ミエ (Catherine Millet) の La vie sexuelle de Catherine M. (邦訳題『カトリーヌ・Mの正直な告白』)で、mokeskinの感覚に対する言及を発見。あるスワッピング・クラブでの話。「そのときそこでセックスをしたかどうかは覚えていない。陰部がスツールの moleskine にじかに接触していたこと、そこに押しつけられた尻がこっそりと撫で回されるのを迎えていたことは、性的興奮に結びつく私の最も古いイメージの一つとして心に刻みこまれたのだが」と。



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