Histoire d'O selon Oraclutie

『O嬢の物語』を読む
はじめに

以下のページは、『O嬢の物語』を原文に沿って丁寧に読みながら R***と1999年にやりとりしたプライベートなメールをもとにしている。その内容は、

1.既存の邦訳で誤って訳されている、あるいは十全に訳されていない部分を指摘し補足するもの、
2.翻訳ではつかめない原文のニュアンスを補足説明するもの、
3.その他の分析的解説、あるいは背景解説

などが入り混じったものである。私信の中でフランス語の語学的な問題を論じたところはほとんど省いた。原文のほかに澁澤訳、鈴木訳、長島訳、英語版の d'Estrée 訳を参照する。邦訳版の問題、英訳版については別に書いたのでそちらを参照してほしい。

解説の進め方の都合上、標準的な日本語訳として、澁澤訳を引きながら進める。それによって、不可避に、しばしば澁澤訳が原文との比較対照の俎上にのることになり、同訳が原文を正確に反映していないケースが必要に応じて指摘の対照になるが、これは、同訳が最も読まれておりかつ現在入手可能な唯一の邦訳版ということによるものであり、この解説自体は同訳を対象した翻訳評を旨としたものではないことをあらかじめ断っておきたい。

翻訳家はつねにその仕事に内在する困難にさらされており、翻訳の結果はその困難からくる限界に縛られている。読み取れた原文の多様なニュアンスを翻訳家は翻訳された言語に十全に反映することはできない。その仕事は最良の場合でも常に決断による切り捨てによって成り立っている。切り捨ては不注意、言葉を練る時間の不足などでによっても起こるが、そうした意図的な切り捨てがその過程に本質的に含まれている以上、すべての翻訳は切り捨てられたものの名における批判の対象となる。切り捨てを止めようと思ったら、大量の注釈をつけるかしかない。しかし、いみじくも原作者D.オリーが翻訳家として「欄外注は翻訳家の恥そのものである」と言っているように、文芸作品の翻訳の要求する美学は、それを許さない。文体の美学を重んじる翻訳家ほど切り捨ての批判にストイックに耐えることを要求される。

ここでの試みは、翻訳家が上記のあれこれの事情により切り捨てしまったもの、切り捨てざるを得なかったもの、恥の塊になるはずだったのものを、すくいあげ、翻訳を補いながら、原作に近づく別の途として提示することにある。

本文の構成について



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