Histoire d'O selon Oraclutie

『O嬢の物語』を読む - 「ロワッシーの恋人たち」
第6回, Alors je sais qu'elles ont défait les mains d'O ...

Alors je sais qu'elles ont défait les mains d'O qui étaient toujours liées derrière le dos, et lui ont dit qu'il fallait qu'elles se déshabillât, et qu'on allait la baigner, et la farder.

「そうして私が知っているのは、後ろ手のOの縛めを彼女たちがほどいたこと、そしてOに向かって、裸にならなければない、そしてこれからあなたを入浴させて化粧を施すだろうと告げたことである。」

時制による文体の違いは、原文で味わってもらうしかないが、前の段落が半過去一辺倒だったのが、ここになって複合過去がはいってくる。すべての動きがスクリーンの向こうで起こる出来事のように状況描写にふわふわと溶け込んでいたのが、ここで「私」の語りのもとに物語がより生き生きと動き出すような感じがする。

女たちが告げたとおりに、Oは裸にさせられ、入浴させられ、入念に髪をセットされていく。座っているときは、脚を組むことも膝を合わせることも禁じられる。Oは徹底的に受け身である。この段落の文のほとんどは女たちを表わすonが、Oに加える行為を描写するものであり、彼女が主語になる能動体のの文章は段落最後の elle se voyait, ainsi ouverte, chaque fois que son regard rencontrait la glace. だけである。壁にはまった鏡は壁の上から下まで−−棚板などで中断されることなく(que n'interrompait aucune tablette) −−全面がひと続きになっているので、「視線が鏡にいくたびに、彼女は自分のこうして開かれた姿を見ることになった」。彼女が自分の体について権利を持つのは見ることだけである。

段落が代わる。彼女の支度ができたことを私たちは知る。そのために入念な化粧が施されている。乳首や陰唇にもルージュ。そして(手の平も含めて)体のあらゆる窪みには香水。これらすべては何らかの形で男を楽しませることのできる場所だ。澁澤訳でははっきりしないが、原文は、脇の毛を剃っていないという当時の通常のファッションを思い起こさせる (parfum longuement passé sur la fourriure des aisselles)。

Oは鏡に囲まれた別の部屋に案内され待たされる。壁は赤、カーペットは黒。黒い毛皮のクッションに座らされる。作者はOが受けるそのときの感触に言及するのを忘れない([la fourrure noire] piquait un peu)。Oがこのとき穿いているのは赤いミュール(mules rouges)。後の記述でわかるようにこのミュールは堅い(そして多分高くて、細い)ヒールつきのものだ。現在の読者ならミュールと訳して何物かわかるが、これが訳された当時はこの言葉は日本語にはなかった。したがってどの訳もこれにスリッパの語を当てている。ファッショの変遷により、ミュールが日本の若い女性、少女たちの足になじみのものになって、われわれはこの履き物を、「スリッパ」という近似訳を介さなくても、理解できるようになったのだが、逆に盲点もできている。というのは、このミュールという履き物、とくに高いヒールをもったものが、性的イメージを強く喚起するものだということだ(例えば、→フランス語のGoogleによるmulesの検索結果。フランス人のフェチシストにはミュールフェチというカテゴリーが存在する)。1990年代後半にになって、ミュールが、逆にその性的イメージゆえに挑発的ファッションとしてオートクチュールの世界を皮切りに、街に繰り出してきて普通のものになるまでは、フランスでは、ハイヒールのミュールといえば、娼婦か囲われた女をイメージさせるものだった。街のファッションに組み込まれたとしても今でもそのイメージは残っている(だから逆にセックスアピールがある)。ハイヒールを持ったミュールは堅気の女性が外で穿くものではなく、これが連想させる場所は娼家の中である。全裸に穿かされた赤いミュールは、Oの置かれたのが、娼婦の地位であることを効果的に強く暗示させる。










部屋には窓があり外が見える。うす暗い庭園。雨は止み、風が木々をそよがせ、雲の間には月。ここでOが館に入って以来初めて、外の世界への言及であり、これまでに過ぎた時間を喚起させるとともに、自然を背景においてこの場所が隔離された空間であることを強調している。そして再び三度(これを最後に)、語る「私」としての作者の明示的な介入。"Je ne sais pas combien de temps elle est restée dans le boudoir rouge ...", "Mais ce que je sais, c'est que, lorsque deux femmes sont revenues, ..."

戻ってきた二人の女は裁縫用の巻尺と籠を携えている。そして一緒に一人の男がやってくる。男の独特な服装について作者は念入りに描写する(ここも澁澤訳はうまく処理している)。男はタイツを穿いているが、性器だけを露出している(作者はこの作品では一貫して性的器官について婉曲語法を用いている--これについては後に触れる--のだが、性器をずばり表わす sexe だけは頻繁に用いている)。

Ce fut le sexe qu'O vit d'abord, à son premier pas, puis le fouet de lanière de cuir passé à ceinture,

「男が足を踏み入れた瞬間Oが最初に目にしたのはその性器、そしてベルトに挟んである革紐の鞭 ...」

この文は、叙述の意味の上では前の部分と切れ目を感じさせるものではないが、文体において極めて大きな変化を導入している。現象としてこの文を見て一目で分かるのは単純過去が出てくることである(この作品でここで初めて)。これは叙述の視点が大きく変ったことを意味する。

一般に、過去の出来事を語るのに、複合過去を中心とする時制の体系とと単純過去を中心とする時制の体系がある。この二つは互いに排除しあい、荒っぽく言うと、前者は私という語り手が、過去の出来事を現在の私との関連を意識の上で保ったまま語るのに対し、後者では語りは、自らを消して透明になり、過去の出来事は歴史として叙述される。後者の場合、読むものは、語り手を意識せず、その客観的叙述の中に入って出来事のみを追っていく。

ここで起こっていることは、前者の「私の語り」が終わり、「客観的叙述」が始る移行である。そしてこの小説はここから最後まで、後者の時制の体系、過去の歴史的叙述の世界の中だけで記述される。複合過去はもはや使われない(現在形も)。そしてそれと相関的に、作者がjeで戻ってくることは決してない。ここから、最終章「ふくろう」の最後のページまで、Oをめぐる出来事はひたすら冷たい物語の世界として淡々と展開されていくことになる。

やってきた男に戻ろう。彼は黒い頭巾を被って顔を隠し、目までもが黒いチュールのネットで覆われている。手には薄く柔らかいキッドの黒手袋。Oにtuで呼びかけながら動くなと命令する。そして、二人の娘を急がせて、Oの首回りと手首の回りを採寸させ、ぴったりと合う首輪と腕輪を選ばせる。



5. Une autre version du même début était ...
7. Voici comment ils étaient faits :



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