昨日の記事をきっかけに、松本さん、写原とまた連絡が復活し、ご両人から迅速にもそれぞれ自宅ページで温かいコメントをいただく。さて、調査の進展あり。
§問題の整理
「邪視対指合わせ」の話のもともとの発端は、フロベールの『紋切型辞典』にあるオッフェンバックの項の記述
オッフェンバック その名を耳にしたらすぐに、右手の指二本を合わせ、邪な目から身を守るべし。
Offenbach. Dès qu'on entend son nom, il faut fermer deux doigts de la main droite pour se préserver du mauvais oeil.
問題は、1.指二本を合わせる fermer deux doigts というのは具体的にどういう動作か、ということのほかにも、2. この邪な目が何か、3. なにゆえオッフェンバックがそのような邪な目、邪悪な力を持つ人物とフロベールに形容されるにいたかったなどに及ぶ。
1.については今まさに進行中のなぞ解きで、あとでもう一度戻る。2.は、「邪視」=「その目でにらまれたら、にらまれた者に禍いが起ると信じられていた、恐るべき視力のこと」という澁澤龍彦の解説を松本さんが引用し、基本的にはとりあえずこれで十分である。3.について、松本さんは、これも澁澤によりながら「どうも迷信ぶかいテオフィル・ゴーティエが最初に言い出し、根拠のないままに伝説化したらしい」と手がかりを与える。
§オッフェンバックと邪視
3.をもう少し詳しく確かめるために、オッフェンバックの伝記 Jean-Claude Yon,
Jacques Offenbach (Gallimard, 2000)にあたってみる。Portrait de l'artiste (芸術家の横顔)と題する第17章に、同時代の人のオッフェンバック像、その変遷が描かれている。
まず、オッフェンバック自身が、自らのオリジナルな外面的スタイルを、営業的な戦略の一環として意識し、常に服装や動作に注意をはらっていたと、著者のYonは指摘する。少しダリを思わせる。そのうち本人が望むところではなかったが、何か人を恐れさせるようなところがある、というイメージが生じ、定着し、死後もますます増幅していく。その過程で『ホフマン物語』の怪しげな雰囲気、その登場人物たちとの連想が役割を果たす。そして彼について「jettatore 災厄をふりかける者」という人物像も生まれている。
というのが大まかな線で、Yonの記述は問題のフロベールの『紋切型辞典』での定義も取り上げ、そしてゴーティエについても触れる。実はここに、先の1.の問題の答えもほぼずばり。ゴーティエのことばをも引く同書のこの部分を引用しよう。
1867年、テオフィル・ゴーティエは『ロビンソン・クルーソー』[同年初演のオッフェンバックのオペラ・コミック--Autel注]についての連載記事を書くことを断ったが、カルロッタ・グリジ Carlotta Grisi [バレリーナ・歌手でゴーティエのかつての恋人、その姉エルネスタはゴーティエの事実上の妻--Autel注]あてへの手紙でそのわけを説明する際、人差し指と小指を突き立てた手を描き、これは「私の慎み深さから名を直接あげることをはばかられるその怪物から」身を守るためで、「カバラのそしてナポリのこのサインによってその怪物の及ぼす厄を祓うのです。」としている。
En 1867, Théophile Gautier refuse d'écrire un feuilleton sur Robinson Crusoé et, s'expliquant sur ce refus dans une lettre à Carlotta Grisi, "il dessine une main ayant l'index et l'auriculaire tendus pour se protéger du "monstre que la pudeur [l']empêche de nommer et dont [il] conjure l'infulence par ce signe cabalistique et napolitain" (p.404)
同書ではこの手紙の出典を、ゴーティエの『全書簡集
Correspondance Générale』第9巻、p.492 と記している。この書簡集の編集が図像にも配慮していれば、問題のイラストも見られるわけで、一挙問題解決となるはずである。が、今日明日に確認するあてはないので、この記述をてがかりにもうちょっとネットで検索してみる。
§角を作る faire les cornes
さてゴーティエの述べたサインに対応する、いくつかの記述がネット上で検索ででてくる。分かりやすい代表的なものは、
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「ルーンと呪術 Runes et magie」という別の主題で書かれたページだが、このしぐさについて次のように触れる :
邪視よけのために中世で広く持ちいられた「角<つの>つくり faire les cornes」という動作からなるよく知られたサイン(人差し指と小指を立て、他の指は手のひらにほうに握り込む)
un signe bien connu, celui qui consiste à "faire les cornes", très employé au Moyen Age comme défense contre le mauvais oeil (index et auriculaire tendus, alors que les autres doigts sont repliés sur la paume)
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ラジオ・カナダのページ Mauvais oeil et "jetage de sorts"
曲げた中指と薬指のほうへ親指を折り込み、人差し指と小指を突き立てる
pouce replié sur le majeur et l'annulaire pliés, index et auriculaire pointés
- ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』(1910)の中の一節(→
PDFファイル。p.20)
護身の角つくりをするバレリーナの少女たち。人差し指と小指は伸ばし、中指と薬指を手のひらのほうに折り曲げ、それを親指が押える。
les petites danseuses qui ... firent les cornes au Destin avec leur index et leur auriculaire allngés, cependant que le médium et l'annulaire étaient repliés sur la paume et retenus par le pouce.
問題の指の形はこれで明らかであろう。この「邪な目(邪視)」をイタリア語で malocchio と呼ぶということで、ここからたどっていくと、
malocchio 除けのお守りの写真にぶつかった。1個、3.75$。
§Malocchio, Jettatura
上で引用した
ラジオ・カナダの Mauvais oeil et "jetage de sorts"では、「邪視 Malocchio」また、オッフェンバックに関して上に語の出てきた 「災厄を振りかける者 jettatore 」をまさにナポリの伝統として詳しく解説する。
「邪視」には意図的なものもあれば、本人が意図せずとも災厄をおよぼすものもあるという。そして邪視によって災厄を投げかけるものをナポリ方言で、jettatura あるいは jettatore と呼ぶ。
この迷信が発展するにつれ、jettatura, jettatore (既成の日本語を流用すれば「疫病神」というところか)と目される人間の特徴がさまざまに選ばれてくる。特定の服装、歩きかた、髪の色、顔の形、しわの具合、病弱体質、ばかにへりくだった態度、等々。これから身を守る方法としてもいろいろな迷信があるが、代表的なものが指による「角作り」ということで、これは上ですでに説明した。
誰の目からかしらないが、オッフェンバックはこの jettatore のタイプにあるときぴったりはまってしまったらしい。
この迷信はイタリア、ナポリではまだすたれていないようで、このラジオ・カナダのページはナポリ出身の30年前のイタリア大統領のエピソードを紹介する。また英語のページ
The Evil Eye ("Malocchio")では、「邪視」の迷信が今の生活の中でどのように生きているかについて、一般のイタリア人の目からみた記述がある。
このイタリアの邪視、疫病神は、19世紀に中頃にフランスの文学者の興味を引いたようだ。ラジオ・カナダのページは、デュマ(父)と、そしていみじくもゴーティエがこれを詳しくとりあげている例をあげる。ただし、このページで紹介されているリンクは違っているので、訂正しながら以下にあげる(いずれもナポリが舞台である)。
- Alexandre Dumas,Le Corricolo (
Chapitre XV La jettatura), 1843
- Théophile Gautier,
Jettatura, 1856
§fermer deux doigts
最後にことばの問題に戻る。
フロベールの『紋切型辞典』のフレーズ fermer deux doigts を、ゴーティエの書簡その他で具体的な指の形が明らかになるまで、「2本の指を合わせる」という暫定訳で済ましてきた。が、実際の形は「2本の指を立てる」である。この fermer を、指を立てる動作として解釈していいだろうか?これには無理がある。ではフロベールの言う fermer deux doigts は、ゴーティエの「角作り(指立て)」と別の動作を想定しているのか?結論を先にいうと、これはまさしく同じものである。
昨日の記事で、fermer les doigts といえば、指を折り込んでこぶしを握ることだと書いた。この「角つくり」で「閉じる fermer」ことになる2本の指とは、実は中指と薬指である。この2本の指 deux doigts を手のひらのほうに折り曲げ fermer、そして親指 pouce は適当にどこかに添える。親指は立っていても「角立て」の基本型はとりたててくずれないし、人差し指の根元に置くもよし、上の解説にあるように、折り曲げた2本の指の押えにつかってもよし。つまり「fermer deux doigts」は「2本指合わせ」でもなければ「2本指立て」でもなく実は、「2本指折り」なのである。ただし、これでは、なかなかイメージしにくい。最終的な形を重んじて「2本の指(人差し指と小指)を立てる」と訳すのは、訳者の裁量範囲だろう。
§まだまだ残る問題
-古代にに遡るであろうと思われるこの邪視、疫病神の迷信(デュマによればローマでfascinum、ギリシアで alexiana)の起源。
-ナポリや19世紀のパリという局地的な現象から離れて、中世ヨーロッパにおける伝承はいかに(これについてもデュマがてがかりを与える)。
-魔よけとしての角作りの意味。
これらはやはり民俗学の「大海」の領域だが、19世紀文学・文化史に話をしぼっても
-フランスでのこの迷信の輸入のルート。迷信普及におけるゴーティエの役割。
-ゴーティエはなぜ特にオッフェンバックを jettatore として忌み嫌ったか。迷信云々以前に、個人史上の確執があるのか。
-ゴーティエは角つくりのサインをカバラの伝統にもよるとしているが、その根拠は。
などなどと問題は広がるばかり。
とりあえず、私のほうでは、上のデュマやゴーティエの Jettatura を読んだり、早い機会に、ゴーティエの書簡を確かめたり、オッフェンバックの伝記をもう少しちゃんと読むくらいを当面の宿題にしたい。
§追記
1 (8 Dec.).ゴーティエの Jettatura に問題のサインの記述あり。
彼女は男に対して[...]その手の小指と人差し指を向けた。一方、手のひらの下に折り曲げた他の2つの指は親指といっしょになり、カバラのサインをつくるような格好になった。
elle dirigeait contre lui [...] le petit doigt et l'index de sa main, tandis que les deux autres doigts, repliés sous la paume, se joignaient au pouce comme pour former un signe cabalistique.