MSG: 42
on Mon 05 May 2003 00h37(CET)
by
Autel
Subject:
glissement
松本氏の「改行」の話に触発されて、私そしてkanjikan氏がそれぞれ自分のサイトで似たようなテーマで文を書いている。
が、三人三様、違う出発点から出て微妙に違う対象を論じている。
直接議論するわけでもないのでこのずれを一つ一つ解きほぐすということはできない。
また緊急にその必要もないと思われる。
ちぐはぐではあるが、不亦楽乎。
ただし、そのずれによって逆にテーマの広がりが分かる(『O嬢の物語』が共通のレファレンスとしてでてくるのはなかなか可笑しい)。
自分自身の上の文(
MSG40)を見ても、すでにテーマが翻訳の問題から、文章一般のモデルについての価値判断もどきのところまでずれて行っている。
ここで誤解があるとまずいのでことわりたい。
MSG40の最後のほうで私が念頭においていたのは、実用的な散文の文体である。
例えば、「戦後イラクにおける石油の管理について」とか「乗馬鞭の正しい使い方」とか「プラトンのテキストにおける語りと書記の関係」とかいうようなのものの。
何でも試される文学作品の文体についてではない。
文学作品の文体については私自身には固執すべき個人的な価値基準がほとんどなく、喜びは観察のほうにある。
なのでシムノンの文体の魅力について松本氏が追補された引用は、私の知りたいような事柄であった(ケルト的云々については個人的には保留したいが)。
シムノンのオリジナルのテキストが読みたくなった。
ところで、検索してみると
MSG40で私が食えないと言った一文ごと改行の文体には、積極派も多いらしいことがわかった。
たとえば http://www.geocities.co.jp/Playtown-Bingo/1681/write.html
また、去年ゴンクールをとったパスカル・キニャール Pascal Quignardの(去年の)新刊 Les Ombres errantes を見たら、多くの場所で、この文体がわざと使われている(かと思うと長い段落を作ったりしていろいろと遊んでいる)。
キニャールのこの本ではなかなか効果的だが、でも、新聞記事にはなあ....