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AutelのURAノート ログ 3
MSG 64 - 66 (2004年12月6日 - 2005年1月18日)
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MSG: 64 on Mon 06 Dec 2004 by Autel   E-mail   Web Site
Subject: croiser les doigts...

前回の書き込みが1月だから、あわや1年になるところ。その間にたまった主題をえりすぐって...といきたいところだが、なんだか構えてしまうので、何事もなかったように「身近な」話題からそろそろと。

松本さんの日記「発見記録」での、邪視の災難をふりはらうための「右手の指二本を合わせる」動作への言及があり、この "fermer deux doigts" のしぐさが具体的にいかなるものかということで、写原さんの「新・捜査員の手帳BBS」も参加して調査が進行中。一枚加えさせていただくことにする。

思ったより単純な問題ではなようだ。"fermer deux doigts" という表現自体が珍しく、検索をかけても、松本さんの最初の出典のフロベールの「紋切型辞典」にもどってきてしまう。fermer les doigts という表現はあるが、これは、 こぶしをにぎることに対応している。

魔除け・縁起かつぎのための「指二本を合わせる」というのを聞いたときに真っ先に浮かぶフランス語の表現は、croiser les doigts で、これは、人指し指の上に中指を重ねる動作。これについては写原さんのところで話題になり、松本さんがさらに画像へのリンクつきでまとめている。

実はこの croiser les doigts という表現(動作)、フランス語のうえではちょっと問題含みで、フランス語にうるさい人間の間でしばしば話題になる。端的に言うと、これはもとからあるフランス語の表現ではなく、英語のkeep one's fingers crossed を直訳して近年入ってきた表現 anglicisme であり、これに対応する正しいフランス語の表現、フランス人の習慣は toucher du bois (木に触る)というものではないかとの指摘がよくある。この話を初めて読んだのは、フランス語の話題を扱うニューズグループ fr.lettres.langue.francaise だが、検索してみると、ここのフォーラムで何度か話題になっている。→ Google ニューズグループ検索(キーワード "croiser les dogits", anglicisme)

この中の書き込みの一つ(2003年11月1日)は、「自分のプチ・ロベールには "croiser les doigts" の表現は "toucher du bois"に参照送りになっている」と言う。私の手元のプチ・ロベール(1991年版...そろそろ買い替えなきゃだめだなあ)では doigt の見出しのもとにこの表現は収録されてなく、croiser のところに、「(英語から)Croiser les doigts : poser le majeur sur l'index pour conjurer le sort 魔除けのため中指を人差し指の上にのせること」となっている。Défense de la langue fraçaise という団体の発行する機関紙の中(No 194 1999年−−PDFファイル)では croiser les dogits という表現のでもとを探ししていくと結局英語の辞書にしかいきつかないという。

そこで手元の Robert-Collins の「英仏・仏英辞典」(第2版 1987年)の finger の項で、keep one's fingers crossed を見ると dire une petite prière (ちょっとしたお祈りをする)という訳が与えられ、Keep your fingers crossed.という文を Dis une petite prière !, Touchons du bois! と訳す。ここで croiser les doigts というフランス語がないところを見ると、この辞典の編集者には、この直訳では通じないという意識があったことになる。この表現が最近までフランス語にはなかったという証拠はこのへんで十分だろう。

が、実際には croiser les doigts という表現は今ではテレビのニュースなどでもしばしば耳にする。今やほとんどのフランス人になじんでいる表現だろう。そしてこれが英語から輸入された表現だというのも意識されなくなる過程にあるように思われる。フランス語の純正さにある程度意識的な人が折りに触れて注意を喚起するのもそうした同化のフェーズにあるからこそだと思われる。しかし確かにあらためて言われてみれば、田舎のおじいさんやおばあさんが使う表現ではないように思う。そして一般的に日常的な口語表現としてはちょっとこなれない感じもする。最近銀行で生命保険の契約を勧誘された際、応対してくれた女性の係員が、「何かあったときのために」と言ったあとに、「もちろんそんなことが起こらないに越したことはないけど」とあわててつけ加え "On touche du bois"といいながら、デスクの端を向こうがわで握っていたことを思い出した。このとき On croise les dogits. と言って、指合わせをしたらやはりちょっと場違いな感じがしたろう。

いままだ過渡期なので、このように、辞書などの文献的証拠、人々の注意の喚起をたやすく目にし、日常的な言語表現の中で定着しきれていなような意識もどこかにのこっているが感じられるが、このまま20年もたつと、完全にフランス語に同化して英語起源の跡も歴史的なものになってしまうのかもしれない。日本語の「目からうろこ」のように。このように、英語のイディオムを直訳輸入しフランス語になっているものは他にも jeter le bébé avec l'eau du bain (=throw the baby out with the bath water 角を矯めて牛を殺す) , la cerise sur le gâteau (= the cherry on the cake いいもののだめ押し)などがある。

croiser と体の器官を使った表現で逆に、フランス語特有の表現で英語に直訳で対応するのがないのが、se croiser les bras あるいは rester les bras croisés 。先のコリンズの辞書でみると to sit idly by という訳がついている。日本語の「腕を拱く」の発想がむしろフランス語のこの表現にもろに対応する。

ことばの問題から、例の指を合わせる動作に話をもどせば、2本の指合わせには、松本さんのところで明らかになったように、2つの基本型があることになる。人差し指に中指を重ねるほうが、表現としては英語からの輸入であり、現在ではフランス全域で馴染みの薄いものであったとしても、これが19世紀にフランスのある場所で行われていなかったと即断することはできない。東西のジンクスを集めた荒俣宏著「ジンクス 恋愛・結婚編」(角川文庫、1988)では、「魔よけの指サイン」としてイラスト付きで2つのものを並列し、次のように説明する。
OraclutieImage
魔よけの指サイン1 人差し指と中指をからめる。日本語でいう『エンガチョ』の形。アメリカ、メキシコ、フランスなどで有効。一説にはこれで十字形をあらわすという。

魔よけの指サイン2 こぶしから親指の先をのぞかせる。一見ひわいなサインだが、ヨーロッパの一部や中南米、南アフリカなどで広くつかわれる魔よけのしるし。

この本はとにかく数を集めて紹介することを目的とした一般読者向けのもので、残念ながらこれ以上の説明はない。

こうしたサインに呪力があると考えられる理由などについて、第2のものについては、松本さんが若干触れており、また keep one's fingers crossed の意味について英語のサイト、文献などにそれなりの説明があるが、私のほうでは、今はまだ、この民俗学の大海に乗り出していく勇気がないので、ひとまず「ことば」のレベルの話にとどめておきたい。



MSG: 65 on Tue 07 Dec 2004 by Autel   E-mail   Web Site
Subject: 「疫病神」オッフェンバック vs. 「角作り」ゴーティエ

昨日の記事をきっかけに、松本さん、写原とまた連絡が復活し、ご両人から迅速にもそれぞれ自宅ページで温かいコメントをいただく。さて、調査の進展あり。

§問題の整理

「邪視対指合わせ」の話のもともとの発端は、フロベールの『紋切型辞典』にあるオッフェンバックの項の記述

オッフェンバック その名を耳にしたらすぐに、右手の指二本を合わせ、邪な目から身を守るべし。 
Offenbach. Dès qu'on entend son nom, il faut fermer deux doigts de la main droite pour se préserver du mauvais oeil.

問題は、1.指二本を合わせる fermer deux doigts というのは具体的にどういう動作か、ということのほかにも、2. この邪な目が何か、3. なにゆえオッフェンバックがそのような邪な目、邪悪な力を持つ人物とフロベールに形容されるにいたかったなどに及ぶ。

1.については今まさに進行中のなぞ解きで、あとでもう一度戻る。2.は、「邪視」=「その目でにらまれたら、にらまれた者に禍いが起ると信じられていた、恐るべき視力のこと」という澁澤龍彦の解説を松本さんが引用し、基本的にはとりあえずこれで十分である。3.について、松本さんは、これも澁澤によりながら「どうも迷信ぶかいテオフィル・ゴーティエが最初に言い出し、根拠のないままに伝説化したらしい」と手がかりを与える。

§オッフェンバックと邪視

3.をもう少し詳しく確かめるために、オッフェンバックの伝記 Jean-Claude Yon, Jacques Offenbach (Gallimard, 2000)にあたってみる。Portrait de l'artiste (芸術家の横顔)と題する第17章に、同時代の人のオッフェンバック像、その変遷が描かれている。
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まず、オッフェンバック自身が、自らのオリジナルな外面的スタイルを、営業的な戦略の一環として意識し、常に服装や動作に注意をはらっていたと、著者のYonは指摘する。少しダリを思わせる。そのうち本人が望むところではなかったが、何か人を恐れさせるようなところがある、というイメージが生じ、定着し、死後もますます増幅していく。その過程で『ホフマン物語』の怪しげな雰囲気、その登場人物たちとの連想が役割を果たす。そして彼について「jettatore 災厄をふりかける者」という人物像も生まれている。

というのが大まかな線で、Yonの記述は問題のフロベールの『紋切型辞典』での定義も取り上げ、そしてゴーティエについても触れる。実はここに、先の1.の問題の答えもほぼずばり。ゴーティエのことばをも引く同書のこの部分を引用しよう。

1867年、テオフィル・ゴーティエは『ロビンソン・クルーソー』[同年初演のオッフェンバックのオペラ・コミック−−Autel注]についての連載記事を書くことを断ったが、カルロッタ・グリジ Carlotta Grisi [バレリーナ・歌手でゴーティエのかつての恋人、その姉エルネスタはゴーティエの事実上の妻−−Autel注]あてへの手紙でそのわけを説明する際、人差し指と小指を突き立てた手を描き、これは「私の慎み深さから名を直接あげることをはばかられるその怪物から」身を守るためで、「カバラのそしてナポリのこのサインによってその怪物の及ぼす厄を祓うのです。」としている。
En 1867, Théophile Gautier refuse d'écrire un feuilleton sur Robinson Crusoé et, s'expliquant sur ce refus dans une lettre à Carlotta Grisi, "il dessine une main ayant l'index et l'auriculaire tendus pour se protéger du "monstre que la pudeur [l']empêche de nommer et dont [il] conjure l'infulence par ce signe cabalistique et napolitain" (p.404)

同書ではこの手紙の出典を、ゴーティエの『全書簡集 Correspondance Générale』第9巻、p.492 と記している。この書簡集の編集が図像にも配慮していれば、問題のイラストも見られるわけで、一挙問題解決となるはずである。が、今日明日に確認するあてはないので、この記述をてがかりにもうちょっとネットで検索してみる。

§角を作る faire les cornes

さてゴーティエの述べたサインに対応する、いくつかの記述がネット上で検索ででてくる。分かりやすい代表的なものは、

- 「ルーンと呪術 Runes et magie」という別の主題で書かれたページだが、このしぐさについて次のように触れる :

邪視よけのために中世で広く持ちいられた「角<つの>つくり faire les cornes」という動作からなるよく知られたサイン(人差し指と小指を立て、他の指は手のひらにほうに握り込む)
un signe bien connu, celui qui consiste à "faire les cornes", très employé au Moyen Age comme défense contre le mauvais oeil (index et auriculaire tendus, alors que les autres doigts sont repliés sur la paume)

- ラジオ・カナダのページ Mauvais oeil et "jetage de sorts"

曲げた中指と薬指のほうへ親指を折り込み、人差し指と小指を突き立てる
pouce replié sur le majeur et l'annulaire pliés, index et auriculaire pointés

- ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』(1910)の中の一節(→ PDFファイル。p.20)

護身の角つくりをするバレリーナの少女たち。人差し指と小指は伸ばし、中指と薬指を手のひらのほうに折り曲げ、それを親指が押える。
les petites danseuses qui ... firent les cornes au Destin avec leur index et leur auriculaire allngés, cependant que le médium et l'annulaire étaient repliés sur la paume et retenus par le pouce.
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問題の指の形はこれで明らかであろう。この「邪な目(邪視)」をイタリア語で malocchio と呼ぶということで、ここからたどっていくと、malocchio 除けのお守りの写真にぶつかった。1個、3.75$。

§Malocchio, Jettatura

上で引用したラジオ・カナダの Mauvais oeil et "jetage de sorts"では、「邪視 Malocchio」また、オッフェンバックに関して上に語の出てきた 「災厄を振りかける者 jettatore 」をまさにナポリの伝統として詳しく解説する。

「邪視」には意図的なものもあれば、本人が意図せずとも災厄をおよぼすものもあるという。そして邪視によって災厄を投げかけるものをナポリ方言で、jettatura あるいは jettatore と呼ぶ。

この迷信が発展するにつれ、jettatura, jettatore (既成の日本語を流用すれば「疫病神」というところか)と目される人間の特徴がさまざまに選ばれてくる。特定の服装、歩きかた、髪の色、顔の形、しわの具合、病弱体質、ばかにへりくだった態度、等々。これから身を守る方法としてもいろいろな迷信があるが、代表的なものが指による「角作り」ということで、これは上ですでに説明した。

誰の目からかしらないが、オッフェンバックはこの jettatore のタイプにあるときぴったりはまってしまったらしい。

この迷信はイタリア、ナポリではまだすたれていないようで、このラジオ・カナダのページはナポリ出身の30年前のイタリア大統領のエピソードを紹介する。また英語のページThe Evil Eye ("Malocchio")では、「邪視」の迷信が今の生活の中でどのように生きているかについて、一般のイタリア人の目からみた記述がある。

このイタリアの邪視、疫病神は、19世紀に中頃にフランスの文学者の興味を引いたようだ。ラジオ・カナダのページは、デュマ(父)と、そしていみじくもゴーティエがこれを詳しくとりあげている例をあげる。ただし、このページで紹介されているリンクは違っているので、訂正しながら以下にあげる(いずれもナポリが舞台である)。

- Alexandre Dumas,Le Corricolo (Chapitre XV La jettatura), 1843
- Théophile Gautier, Jettatura, 1856

§fermer deux doigts

最後にことばの問題に戻る。

フロベールの『紋切型辞典』のフレーズ fermer deux doigts を、ゴーティエの書簡その他で具体的な指の形が明らかになるまで、「2本の指を合わせる」という暫定訳で済ましてきた。が、実際の形は「2本の指を立てる」である。この fermer を、指を立てる動作として解釈していいだろうか?これには無理がある。ではフロベールの言う fermer deux doigts は、ゴーティエの「角作り(指立て)」と別の動作を想定しているのか?結論を先にいうと、これはまさしく同じものである。

昨日の記事で、fermer les doigts といえば、指を折り込んでこぶしを握ることだと書いた。この「角つくり」で「閉じる fermer」ことになる2本の指とは、実は中指と薬指である。この2本の指 deux doigts を手のひらのほうに折り曲げ fermer、そして親指 pouce は適当にどこかに添える。親指は立っていても「角立て」の基本型はとりたててくずれないし、人差し指の根元に置くもよし、上の解説にあるように、折り曲げた2本の指の押えにつかってもよし。つまり「fermer deux doigts」は「2本指合わせ」でもなければ「2本指立て」でもなく実は、「2本指折り」なのである。ただし、これでは、なかなかイメージしにくい。最終的な形を重んじて「2本の指(人差し指と小指)を立てる」と訳すのは、訳者の裁量範囲だろう。

§まだまだ残る問題

-古代にに遡るであろうと思われるこの邪視、疫病神の迷信(デュマによればローマでfascinum、ギリシアで alexiana)の起源。
-ナポリや19世紀のパリという局地的な現象から離れて、中世ヨーロッパにおける伝承はいかに(これについてもデュマがてがかりを与える)。
-魔よけとしての角作りの意味。

これらはやはり民俗学の「大海」の領域だが、19世紀文学・文化史に話をしぼっても

-フランスでのこの迷信の輸入のルート。迷信普及におけるゴーティエの役割。
-ゴーティエはなぜ特にオッフェンバックを jettatore として忌み嫌ったか。迷信云々以前に、個人史上の確執があるのか。
-ゴーティエは角つくりのサインをカバラの伝統にもよるとしているが、その根拠は。

などなどと問題は広がるばかり。

とりあえず、私のほうでは、上のデュマやゴーティエの Jettatura を読んだり、早い機会に、ゴーティエの書簡を確かめたり、オッフェンバックの伝記をもう少しちゃんと読むくらいを当面の宿題にしたい。

§追記

1 (8 Dec.).ゴーティエの Jettatura に問題のサインの記述あり。

彼女は男に対して[...]その手の小指と人差し指を向けた。一方、手のひらの下に折り曲げた他の2つの指は親指といっしょになり、カバラのサインをつくるような格好になった。
elle dirigeait contre lui [...] le petit doigt et l'index de sa main, tandis que les deux autres doigts, repliés sous la paume, se joignaient au pouce comme pour former un signe cabalistique.



MSG: 66 on Tue 18 Jan 2005 by Autel   E-mail   Web Site
Subject: マンディアルグも「角作り」

オッフェンバックに関連するゴーティエの手紙の「角作り」はまだ確認する機会がないが、思いもかけないところから例を発見。またまた「角作り」が遅すぎる新年挨拶の代りとあいなる。

ピエール・ド・マンディアルグ André Pieyre de Mandiargues の 『オートバイ La Motocyclette』(1963)をひょんなことから手にとって読んでいる最中にこんなくだりに出くわした。第3章の最後あたり。ヒロインのレベッカが愛人のダニエルに会いにオートバイで移動中にフランスからドイツへの国境を越えるところで、税関吏の視線に不安を覚える...


じろりと見るわけではないがぼんやりと自分を包み込む、その真っ青で明るすぎる目の光から、災厄をふりかけられそうな気分を覚えると彼女は、人指し指と小指を伸ばしながら他の指を折り込む例の魔よけの動作で右手をこっそりとフランス領の税関所に向けて突き出した。

Ce regard trop bleu et trop clair, qui l'enveloppa sans jamais se fixer sur elle, elle a le soupçon qu'il pourrait bien jeter le mauvais sort, et vers le poste fraçais elle tend discrètement la main droite en faisant le geste conjuratoire d'écarter l'index et l'auriculaire et de replier les autres doigts.


前の書き込みをするための調査中に、たしかに、青い目を「邪視」の持ち主とされる要素にあげているものがあった。マンディアルグの描くシーン、19世紀のものと具体的動作、語彙などほとんど同じだ。

マンディアルグの『オートバイ』は映画のイメージが強くまじめに原作を読んだことがなかった。ずっと若いころ目を通したときは、評判よりも性的記述が少ないという印象をもったが、今読むとどっこい、かなり濃密だ。歳とともに何が性的記述かということに対する感性が変るせいでもあるだろう。ということで、本筋の内容については Ura Note でなく、Oraclutie本サイトでとり上げたほうがよさそうだ。