ニコル・グルニエ Nicole Grenier による ドミニク・オリー Dominique Auryのインタヴュー。序文によれば、1988年にテレビ局のために収録したものを活字に起こした本だという。彼女は1975年にポリーヌ・レアージュ Pauline Réageとしてレジーヌ・ドゥフォルジュ Régine Deforge をインタヴュアーとした本(On m'a dit)を出しているが、こちらは公人ドミニク・オリーとして語っているものであり、性格を異にする。ページ数は前者の約半分で本文が100ページちょっと。
幸運なことにこの本については、サイトLe Parti pris des lettres 文字の味方・文学の味方の作者松本氏による紹介文がある。(この本を多少とも詳しく紹介した文でネット上で読めるのは、全ての言語を含めて、ピエール・アスリーン Pierre Assouline の Lire 誌上での紹介(割りにあっさりしている)一つっきりだけだと言えば、われわれにとっての幸運がひとしおのものだということはもっとよく分かっていただけるだろう)。松本氏の文はドゥフォルジュとの対談と対比させながらの紹介でいっそう興味深く、私はこの文のおかげで、ドフォルジュのヌーヴェル・オプセルヴァトゥール(1815号、1999年8月19日)上でのこの本についての辛辣なコメントについて知った(→ドゥフォルジュの評論のオリジナルはこちら)。
ドゥフォルジュの価値判断はしかし、彼女がこれまでレアージュの唯一の対談本(74年のElle誌上での対談を別として)のインタヴュアーという独占的地位をもっていたということからすれば、割り引いて考える必要もあるだろう。何せこの2冊は性格がまったく異なるので、一方の当事者が、まったく別の状況で成立したもう一方の生産物を酷評してもあまり建設的ではない。
ドフォルジュは、『O嬢の物語』執筆過程については、自分との対談で要点は語られている、新しい対談を、真事実の開示の期待を込めて読んだが、期待は外れた、と言う。そして「この晩(おそ)きに失した対談では、傷つきやすく誇り高く、そして敢然と恋する女Oを生んだ私のドミニクはどうなってしまったのか。神を、エロティシズムを、彼女の愛の的 である文学を、拷問を、祖国を、フェヌロンを、ギュイヨン夫人を語る彼女の、屈託ない話しぶりは影もない」(松本訳)と歎く。が、果たしてその批判はあたっているだろうか。ドゥフォルジュとの対談は、『O嬢の物語』の作者というアイデンティティと同化してのものであったのに対し、こちでらはむしろ、オリーが全面的に自分として語っている。前者には神や愛やエロチシズムについての思索を巡らせる謎の覆面女性作家がいたが、後者には、現場から離れ人々に気兼ねする必要のなくなった立場で(しかも死後発表を念頭に)あれこれのエピソードを自由に語る文学界の退役軍人がいる。前者で正体を隠す配慮によってぼかされていた点が、後者では具体的に語られる。「私の愛した一人の男」についてではなく、ポーランがポーランとして語られる。(もっともこのドゥフォルジュの評論では、彼女の興味はもはやオリー=レアージュにはなく、この対談本は、性を主題とする新しい女性作家たち(「Oの孫娘たち」)を彼女が本題として語るための枕にされているに過ぎない。前年(98年)5月に、ユマニテ紙に美しい追悼文 "O s'est tue(Oは沈黙した)"を発表した彼女にしては(それが故にというべきか)少々そっけない扱いではある)。
この新しい対談では『O嬢の物語』が話題になるのは最後の15ページ弱にすぎない。それでも「新事実開示の期待ははずれた」どころではない(実際、私が今作成しているような正確な事実関係の紹介にアクセントを置いたサイトにとってある意味では一番の味方になっている。この本の『O嬢の物語』をめぐる部分は別のページで扱う予定)。が、それ以前の部分もそれにもまして面白い。最初の30ページほどが、ロンドンで生まれ育ち英語なまりのフランス語を話した父の話を手始めに、出自から学生時代の思い出、占領時代の体験を語ることにあてられている。そして、そこから先、この本の中心となるのが、ポーラン=NRF=ガリマール書店を中心とする文壇のさまざまな話題である。1940年代−60年代のフランス文学史に関心を持つ人にとっては興味を引いて止まない話のオンパレードだろう。が、それをひとつひとつとりあげていくのはこのサイトの任からは外れてしまう。また、こうした文学史裏話的な点ばかりとりあげるのではまた、常に裏方にいた彼女を、単なる逸話の語り手として、この本の読書においてもなおも裏方扱いすることになってしまうだろう。彼女がこの対談の中で、ときどき自分の文学への愛、文学的確信を平凡だが確信をもった言葉で語るところがある。私にはそこがとても貴く感じられる。ほんとうに平凡といえば平凡だが、たとえばこんな言葉(ちゃんとした作家というのはほかの誰にもない独特の「声」をもっていると説明しながら):
「もしふと、偶然、彼の著作を開いて、そこで彼の言葉を「読む」のでなく、彼の言葉が「聞こえてくる」なら、そこに作家がいるのです。それは何とも説明できないし、説明しようとするのも馬鹿げている。うまい表現は見つけられないけど、そうなのです、そんな不可思議な秘密が作家を作りあげるのです」(p.89)
オリーの声は、彼女のどのインタヴューを通しても、その唯一の小説を通しても、その書評を通しても控えめな断固とした響きで確かに聞こえてくる。
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