Histoire d'O selon Oraclutie

P.レアージュ「恋する娘」
春は終わろうとしていた...

春は終わろうとしていた。パリのあちこちの大公園の桜、ハナズオウ、池のほとりの木蓮、かつての環状鉄道の線路の盛土沿いに植わったニワトコはすでに散っていた。日が長くなりいつまでも明るかった。と思うと、驚くほど早い時間から朝の光が、燈火管制用の−−戦争の最後のなごりだ−−ほこっりっぽい黒いカーテンをも突き抜けて射してきた。が、枕元に点された小さな明かりのもとで、鉛筆を持った手は時間や部屋の明るさなど気にもかけずに紙の上を走っていた。娘は暗闇の中で愛する者に向かって語りかけるように書いていた。あたかも、あまりに長くおしとどめられていた愛の言葉がほとばしり出るように。生まれて初めて彼女は、何のためらいもなく、止まることも書き直すことも、削除することもなく、まるで自然に呼吸するように、夢をみるように書いていた。ひっきりなしの車の騒音がまばらになり、車のドアをバタンと閉める音も聞こえなくなると、パリは静けさに包まれる。彼女はまだ書いていた。清掃人がやってくる時間になり、そしてうっすらと夜が明けるころになっても。最初の一晩がこうやってすぎた。まるで夢遊病者が彼らの夜を過ごすように。彼女から引きはがされていた夜−−いや、というより彼女の元に親しく戻ってきた夜ではないのか?−−が過ぎた。朝になると彼女はノートを畳み、そこには物語の二通りの冒頭部分が含まれていた。この冒頭部分は読者のあなたもご存じだろう。というのも、もし今この文を読んでいるのなら、物語−−私たちが今知っているこの物語は彼女がそのときに知っていた物語より長い−−を全部読んでくださったに違いないから。朝の時間が迫っていた。ベッドから出て、顔を洗い、服を着て、髪を整え、隙のない仕事用の格好、いつもの微笑、無言の柔和さを取り戻す時間が。明日、いや明後日、彼女はノートを渡すだろう。




上の部分に関連して、2002年にAutelからR***へ向けた個人サイトにアップした以下の文章を記念に再録。ここでは、私たちの好きな、原文のパラフレーズによる解説という形をとっていた。

私が、Une fille amoureuse の中で最も美しいと思うのは、P.R.=D.A. が、春の終わりのある日 Histoire d'O にとりかかってから、最初の突然の 終結にいたるまで、ひたすら書き続け、男に順番にわたしていく 様子を描いた3ページほどの部分だ。張り詰めたような緊迫感と力強いリズムに満ち、それが底を流れる悲しみの基調を圧倒しようとしている。

一方それとは別に他の部分も含めて彼女の、音に対する鋭敏さの感じられるところが私は好きだ。そしてその二つの部分が合わさった次の文章はどうだい?

Les journées n'en finissaient pas, et la lumière du matin perçait à des heures insolites jusqu'aux poussiéreux rideaux noirs de défense passive, derniers vestiges de la guerre. Mais sous le petit phare allumé au chevet du lit, la main qui tenait le crayon courait sur le papier sans souci de l'heure ni de la clarté. La fille écrivait comme on parle dans le noir à celui qu'on aime, lorsque les mots d'amour ont été retenus trop longtemps et ruissellent enfin. Pour la première fois de sa vie écrivait sans hésitation, sans répit, rature, ni rejet, écrivait comme on respire, comme on rêve. Le ronflement continu des voitures faiblissait, on n'entendait plus claquer de portières, Paris entrait dans le silence. Elle écrivait encore à l'heure des boueux, et de la petite aube.

夜の室内の静けさの中、ベッドの枕元の小さな明りの下で、彼女の持った鉛筆が紙の上を滑る音が、まず聞こえてくるような気がしないかい?

鉛筆の運動を除けば何もかも静止したよう。しかしその間に周りの光や音はいつもの社会と自然のリズムどおりに移り変わっていく。初夏の長い陽がまだ完全に沈まないうちに書き始めていたはずなのに、いつのまに、通りを走る車の音がしだいにまばらになっている。その静けさのなか、通りに車を止めて誰かを降ろしてドアをばたんとしめる音が――ソワレの帰りの時間だ――窓の向こうからい つものように低く響いていたのが、もう聞こえてこなくなると、街は深夜の静けさの中へ滑りこんでいく。彼女は鉛筆を走らせ続け ている。清掃員ががたがた音をたて次々とゴミ箱を引きずるのが耳に入ってくる。もう明け方だ。

彼女だけではない。情熱にとりつかれて何かを作る者がみな覚えのあるに違いない時間の流れだ。彼女の激烈な愛の「手紙」を受け止めて、知的にスリリングな長い序文をこれも愛の返信として書いた(これについては以前に触れたことがあるが、また改めてはっきりと取り扱うことがあるだろう)男のほうもそを経験したに違いない。



- ハナズオウ Arbre de Judée : 正確には「セイヨウハナズオウ」とするのがいいようだ。奇しくも上の本文をアップした数日後に、kanjikan氏のサイト「フランスの島」にパリの植物園に咲く写真が掲載された : Photo1Photo2


For the original text © Société Nouvelle des Editions Jean-Jeaques Pauvert, 1954-1972
For this translation © Autel & R***
oraclutie@free.fr