Site Oraclutie

les 25 et 29 décembre 2002
Le jour de Noël selon Fénelon

En feuilletant un recueil d'oeuvres de Fénelon, je suis tombé sur un texte de circonstance : Pour le jour de Noël. En général je ne suis pas particulièrement sensible aux discours religieux, et c'est Dominique Aury qui a attiré mon attention sur ce qu'a écrit l'archevêque de Cambrai. Je suis frappé une fois de plus, en lisant ce texte, à quel point l'univers d'Histoire d'O trouve sa racine dans l'idée d'abnégation religieuse exquisément exposée par Fénelon. "Nous ne serons à l'abri de l'égarement, dit-il, qu'à force de nous laisser conduire, d'être petits, simples, livrés à l'esprit de Dieu, souples et prêts à toutes sortes de mouvement, n'ayant aucune consistance propre, ne résistant à rien, n'ayant plus de volonté, plus de jugement, disant naïvement ce qui nous vient, et n'aimant qu'à céder après l'avoir dit." Bien sûr s'agit-il de Dieux ici, mais s'il s'agit de Dieux, peut-on être tout à fait tranquil avec cette proclamation ? Et s'il s'agit d'un dieu ? Bien sûr est-ce l'un de ces nombreux discours inspirés de l'enthusiasme religeux où la passion masochiste se revêtit d'une sublimation spirtuelle. Mais avec quelle sereinité et quelle beauté chez lui ! Si on peut qualifier Histoire d'O de dangereux, il me semble que son discour ne peut pas l'être moins. Vous trouverez ici le texte intégral.




私はいわゆる宗教的信心とはほど遠い人間だが、節々の宗教行事のときにや、この季節になると特に、少しばかりはキリスト教について思いをめぐらせることがある。それもあってか、D.オリーに手引きされて知ったフェヌロン(1651-1715)の著作に手が伸びる。R***と散歩中に偶然古本屋で見つけ二束三文で買った1872年出版の選集が手元にある。めくっているうちに、おりしも、「一年の主要行事によせて」という文集の中の、「クリスマスによせて Pour le jour de Noël」という文章に目をひかれる。普段なら別に関心をひくようなタイトルではないのだが、日が日だけに、思わず読んでしまった。これがなかなか興味深いので、少し引いてみたい。(→仏語全文

「あなたを熱愛します。幼子のイエスよ、裸で、泣き、まぐさおけの中に横たわるあなたを。あなたの赤子の姿、あなたの貧しさほど私の愛をかきたてるものはありません。」と冒頭からあるように、フェヌロンは、誕生したばかりのイエスに思いを巡らせる。が、その愛とは、赤子をいとおしむ愛ではない。それとはまったく逆で、偉大でありながら、生まれたばかりの無力な存在としてこのときのイエスの姿をフェヌロンはとらえ、神の偉大な力の前に、赤子のように無力であることの美徳、というより歓びを、ひたすらに語っていく。

人間の知恵も理性もさまざまな徳も自らに対する顧慮も神の前にはむなしいということをフェヌロンは彼流のの言葉で次々と確認していく。「私は、すべてを得るためにすべてを捨てるあの幸せな赤子の仲間になろう。自分たちのことを気遣うこともなく、人が見下そうと、その判断力をだれも一顧だにせずとも、何も気にすることもない赤子のように」。人々は賢明さ、洞察力、節制、勇気などにおいて日々強くなろうとしている。しかし「私にとってはすべての歓びは、弱まっていくこと、小さくなっていくこと、卑しいものとなること、鈍くなっていくこと、口を閉じること、愚かになり、愚か者として人に見られるのを承服することにあります。そして私の歓びは磔にされたイエスの恥辱にさらに幼子イエスの無力と回らぬ舌を加えあわせることなのです。」そして、苦痛を受けることよりも卑小になることを受け入れるがいっそう辛い試練だと語る。

人々は磔になったキリストのように苦痛のうちに死ぬほうを、幼子イエスのように襁褓(むつき)にくるまれゆりかごの中にいるのを見られることよりも好むだろう。卑小になることは死ぬことよりも恐れられる。死の苦しみは勇気と偉大さによりかかることができる。それに対し、子どものように相手にされなくなり、自分を無価値だと思う、あるいは年老いて子どものようになり人々の慰み者になる、その上でさらに自分がそのように嘲笑されていることを醒めた目で見つめ続けること、「それこそが、偉大で勇気ある魂にとってこれ以上にない耐えがたい拷問です」。知恵や勇気や理性や自らの徳は、自らを否定しようとする魂が捨てさるのに最も苦痛をおぼえるものだ。個人の知恵などうすっぺらなものにすぎないが、それでもそれは魂のもっとも奥深いところに生きており、それを奪われることは、「生きたまま私たちの皮をはぐようなもの、わたしたちを骨髄まで引き裂くようなもの」だ。

しかし、そうした代償をはらってまで自分の精神のもっているすべてを捨てるのは、神の理性に身を委ねるためだ。「自分の理性がこう言うのが聞こえる−−『なんだって!理性的であるのをやめろというのか!』...しかし、理屈で考えていること être raisonnant と理性的であること être raisonnable の間には天と地ほどの開きがあるものです。理屈で考えることをやめるときほど私たちが理性的であることはありません。私たちの薄弱で空虚な理性にははかりしれない神の純粋な理性に自分を委ねることによってのみ、私たちははじめて、原罪を背負ったそのとき以来道を誤り、不確実で、不完全で思い上がった自分たちの知恵から解放され、言うならば、自分たちの過誤から、軽率さから、かたくなさから解放されるのです。」

この先は、いちいち解説するより神への自己放棄の歓びに向けて論を進めていくフェヌロンの文章をそのままひこう。

「ある者が神の霊 esprit によって自分自身を捨てれば捨てるほど、その者はそう自分で思わなくてもますます慎ましくなるものです。というのも人が軽率になるのはまだ自分の精神esprit、自分の見方、自分の性向に従って生きるからで、それはまだ自分の流儀で欲し、考え、話しているからにほかなりません。私たち自身の分別が完全に死ぬとき、私たちの中に神の言葉の、真実で完全な知恵が入ってきます。私たちが自分たちより高いところに引き上げられるのは私たちの内部の理性の努力によるものではありません。それとは逆に、自分たちの存在そのもの消滅させるとき、そして特に人間にとって最もいとおしい部分である理性を消滅させるとき、私たちはこの新しい存在、聖パウロが言ったように、イエス・キリストが私たちの生を、正義を、知恵を作る、そうした存在の状態へと入っていくのです。」

「私たちが道を誤るのは自分で行動しようとするからにほかなりません。したがって、道を誤るのを避けられるのは、導かれてもらうとき、卑小で、単純で、神の霊に身を委ね、どんな動きをも柔らかく受け入れられるようにしているとき、固まった自分を持たず、何物にも抗わないとき、もはや意志も、判断力ももたず、与えられる事柄を無邪気に言葉で繰り返し、それを言葉にした後それ従うことを愛することによってでしかありません。赤ん坊が自由に抱かれて運ばれ、場所を移され、起き上がらせ、寝かされるのを受け入れるのもこれと同じようなものです。赤ん坊には隠すものも、自分のものも何もありません。そうなれば私たちはもはや賢くはないでしょう。しかし私たちの中にいる神が、私たちのために賢くなるのです。私たちが言葉を失っているときに、イエス・キリストが私たちの中で語るのです。幼子イエスよ、あなたとともにこの世に君臨するのは子どもだけです。」

と、いうことだが、宗教的なコンテクストで精神的マゾヒズムをかなり強烈に語っているとしかいいようがない。ある部分は沼正三(真の沼氏自身も「代理人」の両方も含めて)も真っ青である。政治的にみると、相当に危険なテキストであるに違いない。特にこうしたイデオロギーが操作的に用いられる場合。もともとキリスト教の言葉のかなりの部分がこういう要素を含んでおり、キリスト教が奴隷の宗教と言われるのも、そのゆえんだが、フェヌロンのこのテキストには自己放棄の精神面が肉体面にも感じられるほど官能的に描かれている。そして問題はテキスト自身が美しいことだ(原文のリズムやニュアンスが拙訳で伝わらないのは残念だが)。フェヌロンはカンブレの大司教として晩年を過ごすわけだが、彼は、こうしたテキストを実際に説教に使ったのだろうか、それとも自分の祈りのために書いたのだろうか。専門家の意見を聞きたい。

オリーが愛読したこうしたフェヌロンのテキストから(彼女がこの文を読んだかどうかは定かではないが)、『O嬢の物語』の世界は半歩も離れていない。というよりOの世界がこの中にあるといってもおかしくない。

フェヌロンはデカルトの死んだ翌年に生まれている。台頭していく人間理性信仰とこれだけ鋭く対立をなす考えは、単に宗教心にとらわれた前時代の遺産としてのみ片づけられた(る)のだろうか。実存主義の自由への賛歌が満ち溢れていた時代に投げかけられた『O嬢の物語』がその危険さで、人々を当惑させながら、その美的価値で曖昧に受け入れられていた(る)状況を思い出す。



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